ポートピアの時の話
中学三年を目の前にした春休み、神戸でポートピア81が開催された。
巨大な埋め立て地、人工の島に未来都市が形成され、その完成を記念して開催された博覧会やった。
この時、いつも一緒に遊んでた幼なじみのTやんとHくんと、ポートピア行きたいなあみたいな話をしていて、大阪のTやんの親戚に泊めてもらえる事になり行くことになった。
残念やったのは、何らかの理由でもう一人のいつものメンバーH君が行けなかったこと。
二人で行く事にして、塾で話をしてたら「俺も行きたいなあ」とYくんが言い出し、断る理由もなく三人で行く事になった。
この三人とも親同士もよく知っている間柄、神戸に行くならうちの親戚の方が近いからと、後から加わったYくんの親戚に宿は変更になった。
朝6時の鈍行、松阪で近鉄特急に乗り換え、地下鉄と阪急電車を乗り継いで、Yくんの十三の親戚まで。
この家は十三の商店街でカメラ屋さんをしており、淀川を見渡せる今風に言うとタワーマンションの高層階にお住まい。
エレベーターの急行運転、この時初めて(笑)。
阪急で電車往復とポートピア入場券のセットのチケットを購入。
荷物を預かってもらい早速出かけた。
ハッキリ言うてパビリオンは覚えていない。
友達同士で泊まり掛けで出かけた初めての「冒険」、そっちの方がインパクト強い。
無人運転のポートライナー、開業当初は安全のためにおっさんが先頭の乗務員室に何もせず前だけ見て座ってた。
神戸から戻ると、おじさんが三人を焼肉食べに連れてってくれた。
行く道でおじさんが「このビルな、あんたらも知ってる有名なヤ○ザの事務所やねん、でもなワシら地元やさかいよぉ知ってるし、向こうから挨拶してくんねんで。一般人には普通に接してくれるんや」、へぇー、確かに聞いたことある巨大組織、田舎の中学生はちょっと緊張(笑)。
焼肉屋に到着、写真屋さんだけあり、我々をバシバシ写真を撮ってくれている。
マンションに帰り、おばさんに「明日はどないすんの」と聞かれ「明日は半日また神戸行って帰ります、三人とも塾やし」。
「そんなこと言わんと、もう一晩泊まってったらどないやの、おばちゃん、あんたらのうちの人に話してあげるさかい、な」。
おばさんはそれぞれの家に電話して、それぞれ了解とってくれた。
「かまへんって、三人とも(笑)」、ラッキー!
次の朝、またまた阪急電車で三ノ宮に向かう。
昨日見れなかったとこを見てまわる。
帰りの大阪に戻る電車、二日目やけど、要領わかってきた。
「お帰り、もうちょっと早よ帰ってきたら良かったのに」とおじさん。
理由を聞くと「さっきまで鶴瓶おってん、あんたらに逢わせたろ思てギリギリまで待ってもろてたんや」。
ここのおじさんと、鶴瓶は友達、たまたま遊びに来たらしい。
うそ!残念!
今みたいに携帯も無いしなあ、待つしかなかったんやな。
その代わり、いま焼いたとこやと当時アフロの鶴瓶の生写真とサイン色紙を三人にくれた。
ホンマに残念やった!
この日の夕食は阪急ホテルのバイキング。
生まれて初めてのバイキング!
食べたいものを好きなだけ食べ、幸せな一時。
もう一晩泊めてもらい、次の日は長島へ帰る。
おじさん、おばさんに礼を言い、心斎橋のシェーキーズでピザ、こんなピザって…田舎の中学生にはインパクトあった。
近鉄の駅で「紀勢線の時間に合えばええんやろ。新型ビスタカーのノンストップ特急乗りたい」、と提案。
デビューして何年も経ってない新型ビスタカー、二階席をゲット、鶴橋を出たら宇治山田までノンストップ、松阪には停まらない電車。
宇治山田から各停で松阪に折り返した。
松阪で紀勢線に乗り換えた時、都会の二日間には無かった古くさい客車の鈍行にいつもの生活に引き戻された気がした。
二泊三日の冒険はアッと言う間に終わり、受験勉強を本格化させたのでした。
短くも楽しかった冒険は40を越えた今も鮮明に覚えている。