東京駅発の

東京駅発着のブルートレインが廃止になるらしい。

うちの田舎へも、その昔は紀伊勝浦行きの寝台特急が走ってた。

山陰線の特急いなば(後に出雲)と名古屋まで並結、9〜14号車が紀勢線の特急紀伊やった。

小学生の高学年の頃、スーパーカーブームがあり、家にあったハーフサイズのカメラに興味を持ちはじめた。

スーパーカーとは縁遠いR42(笑)、役場前のバス停の辺り、ちょうど体育館の辺りの直線で、何か走ってこんかいなと放課後に友達と通ったりした。

スーパーカーなど来るはずもなく、次第に国道と平行する国鉄にも興味が向きだした。

今と本数は大きく変わらず、閑散とした単線、でも前にも書いたが今より長編成、9両の急行があったりした。

今は土日はともかく、平日の特急は3両しかつないでない。

普通列車は1両のワンマンカーもある。

当時の優等列車、特急は天王寺と名古屋を結ぶ特急くろしお一往復だけ、後は急行やった。

いやいや、東京行き紀伊も特急やな。

中学生にもなると、親父がニコンの一眼レフを貸してくれるようになった。

いつもの役場前に加え、松阪までビスタカーを撮りに行くようになった。

今風に言えば、鉄ちゃんやな。

で、スーパーカーブームに続いてやってきたブルートレインブーム(?)、夜の東京行きは遅かったので、夏場の朝早起きして5:18の下りを何度も撮りにいった。

紺色に白帯、先頭は赤いディーゼル機関車DF50。

この機関車、いつのまにかDD51に置き変わり紀勢線から姿を消した。

写真で見たが、紀勢本線全通の記念列車もDF50が引いていた。

小学校の窓からも日常見えていたこの箱型のディーゼル機関車、今は多度津(!これもご縁か)に保存されているそうな。

話をブルートレインに戻す。

朝5時過ぎに家を出てチャリで駅に向かう。

普通なら新聞配達とか牛乳配達とかしかすれ違わないが、わが漁師町では、すでに町は動きだしており、顔見知りの漁師のおじさんとすれ違ごたりする。

駅に近づくにつれ、人通りが減る変な時間帯。

入場券を買い、ホームに向かう。

うちの駅で必ず(かな)運転士が交代する、これはJRになった今でもそう。

こんな時間にホームの端にカメラ小僧、交代する運転士が話し掛けてくれたりする。

「来たでー」

しばらくすると、ガーともゴーとも形容しがたいディーゼル機関車独特のエンジン音が近づき、赤と青の編成が姿を現す。

田舎の鈍行には無い、大阪や名古屋から来る昼間の列車にも無いかっこよさがあった。

東京から来たという先入観やったと思うんやけど。

運転士交替で数分停車、発車すると同じホーム隣に停まっていた接続する始発の鈍行のディーゼルカー、珍しくもないのについでに撮って帰った。

今のデジカメみたいにすぐ見れるわけもなく、当時はDPEに持っていき出来上がりまで二三日かかった。

高校生位になるとその店ですぐにやってくれる店もあらわれたが、当時は無かった。

どんな風に撮れているか楽しみでしょうがなかった。

待つのも写真の楽しみでもあった。

すぐ見れる便利さを否定しないが、あんなゆっくりのんびりも良かったなあ。

東京駅からブルートレインが消えることから色々思い出した。