命の弱さ
さっきのニュースで、京王八王子駅の書店で二人の店員が刃物を持った男に襲われ、一人が亡くなったと流れた。
永山駅にも三鷹にも吉祥寺にもある、すごく身近な京王系の書店。
秋葉原の事件、女子中学生が父親を刺し殺したり、高校生が殴り殺されたり、最近こんな事件ばっか。
ここんとこひどく目に付く。
誰かがこのようなこと書いていました。
(たぶんワシの好きなあの作家やけど、違うとまずいので名前は書きませんが)
子どもに命の「大切さ」「尊さ」は教えるけど、それよりも命の「弱さ」「もろさ」を教えなければならないと。
なるほどね。
ちょっとのこと、ちょっとの力で、我々の心臓は停止してしまうんだみたいなことを書いていた。
止まってしまった心臓は、基本的にリセットは効かないし再起動もしない。
そんな当たり前のこと、誰もがわかっているはず。
でも、どれだけの力で、傷で、出血で心臓の機能が停止してしまうかは、わかっていない。
教えるのも難しいが。
っていうか、悲しいかなワシもわからん。
命の大切さも当然大事、命の弱さを知ることももっと大事やし必要。
そう思った。
さらには、今回もそうやけど、通り魔的な事件では、「むしゃくしゃして」「誰でもよかった」「目立ちたかった」ってワケのわからん理由が多い。
人を傷つけるのなら、自分自身を傷つけたらどうや。
自分の責任、好きにすればええ。
他人を巻き添えにするな、バカ者。
それに世の中で自分だけが酷い目に遭うてると勘違いすんな。
もっともっと酷い目に、辛い目に遭いながらも一生懸命の人は大勢おるんやぞ。
自分だけ、みたいに正当化すんな(正当ではないが)。
おかしな世の中、何が悪いんやろなぁ。