西小のK先生

西小のK先生

長島の西小学校が母校。

ひのえうまの我々は、他の学年より一クラス少なく、40人の2クラスしかなかった。

2Bと、5Bから6Bへのもち上がりで、都合3年間担任になった先生がおる。

小学校の半分を世話になった、HK先生、ワシと同じ苗字で皆からK先生と名前で呼ばれていた。

今朝、駅前の本屋で立ち読みしてたら、先生の名前を発見。

文庫本の、各駅停車で途中下車みたいな本で、紀勢線で行く熊野古道の章があったので、長島が出とるかなと見てみた。

池袋から長島まで夜行高速バスで来て、「ガラガラの5両の普通列車で」一駅だけ紀勢線に乗り、梅ヶ谷から荷坂峠を下るという内容。



国道とJRにくっつき離れして旧荷坂峠を下った所で「熊野古道語り部」の男性と出会う。

その語り部がK先生。

簡単なプロフが書かれており、すぐに先生とわかった。

うわ、懐かし!

先生のコトを急に色々と思い出した。

うちの父より一つ年上、薄い頭が特徴(!)、お父さんのような先生やった。

ミニバスケットの指導もするスポーツマン。

県内でも強いチームで、横浜の妹も静岡で行われた全国大会に出たりした。

故に雨が降ると、体育の授業は体育館でバスケ。

前にも書いたが、雨降りの昼休みには、五目ならべの相手をしてくれたりする。

先生の前に列を作り、一人ずつ相手をしてくれる。

時々わざと負けてくれるんやけど、そうとは知らず単純に喜んだりする。

授業や他でも先生独自の「賞」があった。

テストでクラス一番の点数を取ると「学習賞」、前のテストとの差が(良い方に)一番大きいと「努力賞」、良い行いを先生が聞くと(決して自己申告ではない)「善行賞」などなど、画用紙に桜の花のデザインを印刷し切ったものを渡してくれた。

皆それをふでばこに大事にしまう。

それを10枚集めると10枚賞に交換し、ノート(やったかな)をプレゼント。

10枚賞を10枚、100枚分集めると、また何か貰えたようやけど、さすがに100は居なかったんやないかな。

また「寒蘭」の栽培では有名な人で、地元の展覧会、品評会などの記事で名前は見たりしてた。

そんな先生も怒ると怖い。

ゲンコツどこやない。

恐怖の「キリモミ」が待っている。

背後から両手のゲンコツで頭を両側から挟み、指の間接のトコでグリグリと揉まれ、終ると両サイドからゴンと殴られ、仕上げはモミアゲを下から拳で擦りあげる。

どんなワンパクでも、涙がちょちょ切れ、暫くはおとなしくなる。

こんなんされても、文句言う親は一人もおらん、そんな時代、70年代でした。

そんなんを思い出し、タリーズのテラス席で一気にコレを書いた。

昨日までのような、冷たく強い風もおさまり、少し乾いた風が心地良い。

先生に会いたくなった。

色々な話をしたくなった。