春の風景

全国の漁協に送る、わが社の広報誌「トリトン」。

現在の編集委員長は、何を隠そうこの私。

今月末に発刊する春号の編集後記を書いた。

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地元の港の入口にかかる大きな赤い橋がある。卒業式を終えた若者達が鰹船に乗り、麗らかな日和のなか、この橋をくぐって黒潮に向け出港していく。橋の歩道に集合した友人達は、ここから彼らのまさに船出を盛大に見送る。紙ふぶきと紙テープが柔らかな風に舞い、大漁旗をなびかせた船が岬を回って見えなくなるまで手を振り続ける。
それから毎日、新聞に折り込まれる漁業無線の一覧が気になって仕方がない。操業の様子の後に、心配する家族や友人達に向けた短い便りが、あちらこちらの船に付け加えられている。
イチネンセイゲンキ」。
たった9文字、でも新入りを見守る無骨な優しさ、思いのこもった素敵な9文字に読み取れる。「日本一短い“沖からの”手紙」というところか。
この春もまた同じ光景が繰り返されるはず、がんばれ、漁師一年生。いや全ての一年生へ。

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中学、高校の卒業式直後の風景、我が故郷の「春の風景」です。

橋の上での見送りは、自分も何回か行った。

中学校の担任の先生も来てくれたりする。

大漁旗をなびかせ大音量で音楽(とーぜん演歌)を流しながら、家族が見送る岸壁を離れた船は、この橋に向かってくる。

橋を通過していくまでは、皆元気で華やかで賑やかな見送りなんやけど、だんだんと船が遠くなり、小さくなり、そして見えなくなるころ、誰もが無言になる。

船もおそらく、わざとゆっくり走ってくれとるんやろけど、短い時間に思える。

誰からともなく、無口のまま春風に舞ったごみを拾い始め、誰かが「帰ろか」と言い出すまで、その場を離れない。

自分より一足だけ先に社会に巣立った彼のことを、そしてこの仲間と離れ離れになる自分の近い将来の不安を思とるに違いない。

後から聞くと、見送られる側も、すこし滲んだこの赤い橋が見えなくなるまで見つめとるらしい。

春になって新人が入ってくるたび繰り返されるこの風景を見ると、自分の時のことを思い出し初心に戻ると口を揃える。

実家が購読していた朝日新聞には「漁船だより」という、漁業無線の一覧が毎日折り込みで入ってた(どうやら港周辺の漁師町エリア限定らしい)が、違う新聞では、新聞本体の地方版に載ってたりもする。

当時はカタカナやったように記憶しとるけど、今は「一年生元気」と漢字表記、でも伝える思いはカタカナの頃となんら変わらない。

きっと、今年も何度かこのような風景があったはず、これからもずっと、長島港の春の風景であってほしいもんです。