久々にばあちゃんネタ
いつもお母さんと一緒に練習に来るC、お母さんが忙しい時は、おばあちゃんが送り迎えをしてくれる。
練習の終わり時間が近づくと現れて、道場の隅にチョコンと正座してみている、かわいらしいおばあちゃんです。
先生もブログに「おばあちゃんを大事にするんだよ」って書かれてた。
見ていると、ワシも自分のばあちゃんを思い出す。
以前に何回も書いたが、やさしいばあちゃんやったけど、一回だけ怖い顔の思い出がある。
小学校の3年生くらいの時、親の財布からお金をくすねたことがあり、見つかりそうになって、ばあちゃんに味方になってもらおうと「ばあちゃんにもろたって事にして」と頼んだ。
結局、親に見つかり、ど叱られたんやけど、その横におったばあちゃんの怒った怖い顔が記憶にある。
それだけです、唯一の怖い顔の思い出。
今、中二の姪が生まれた頃、ばあちゃんは干物屋の看板婆を退き、自分の部屋で過ごしていた。
まだボケてはいなかった。
しばらく実家に居た妹は、ばあちゃんに姪を抱かせた。
ばあちゃんは、それこそやさしい顔で「ヒコ(ひ孫)抱かせてもろた」と大いに喜んだ。
残念なのは、その時写真を撮らなかったこと。
今なら、携帯ででも撮るのに。
でもね、M嶋姓の外孫。
(^^;)
内孫は間に合いませんでした。
さっきの怖い顔対比する超やさしい顔。
母方のばあちゃんもやさしい笑顔が残っている。
長島弁ではなく伊勢弁。
「くん」づけでワシを呼んだ。
数年前、伯父が名大病院で手術をするので、地元の老人ホームに一時的に入所した。
娘二人は嫁に行き、家では伯父伯母と三人暮らしだった。
やはりもうボケていて、帰省したときに母と老人ホームへ様子を見にいった。
車椅子で現れて、声をかけるがワシって分からん見たい。
笑って会釈するだけ。
最近のCMでありますね、外で散歩しているおじいちゃんとすれ違う時、孫娘が「あ、おじいちゃん」って声をかけるけど「こんにちは」と他人行儀にすれ違うおじいちゃん。
あれと同じ。
悲しかった。
昔、干物屋をやっているとき、加工場(地元では漁場屋(イサバヤ)と呼んでました)に来てくれてた、パートのおばさんたちが居ます。
両親よりも祖母の年代に近いおばちゃんたち。
親父について加工場へ行くと、かわいがってもろた。
そのなかに、Tおばさんて人が居た。
実家も近所で、大阪にワシと一つ違いの孫が居る。
Tおばさんにも、自分の孫のようにかわいがってもろた。
「Nちゃん、飴サン(関西一円では食べ物にサン、チャンをつけたりするのがある)やろか」
こないだ、実家に電話したら、Tおばさんもこの老人ホームに入所したと聞いた。
今度帰ったら、様子見に行ってみよかいな。
飴サン持って。