戦艦大和

最近映画でありましたね、「男たちの大和」。

親父はその映画の鑑賞券を誰かにもろたらしいんやけど、「俺はよお見やん」と行かなかったらしい。

なんでやと尋ねた。

すると、こんな話をしてくれた。

戦時中、親父の親父(ワシのジイさん)は病気で家で寝ていたらしい。

親父がまだ小学校低学年(尋常小学校と前に書いたが国民学校やって、ギリで)の頃の話、ある日大地震(東南海か南海か)が起き、津波が来るぞとなった。

しかしお父っつあんは病気で寝とる。

どないしよ、とお母やんと親父ら兄妹はパニックになった。

すると二軒隣のおじさんがうちに飛込んできて、ジイさんをおぶって高台にある長島神社まで走って逃げてくれたらしい。

そのおじさんは兵隊にとられとったらしいんやけど、その日はたまたま休暇で帰省してた。

その翌日、バアさんと親父が礼を言いにいくと、すでにおじさんは部隊に帰った後やった。

津波で汽車が不通やからと、隣の大内山駅までその晩のうちに歩いて山を越え、折り返し運転の汽車に乗り、部隊に帰っていったのだそうです。

その後、長島の海を二度と見ることなく、おじさんは「戦艦大和」で戦死した。

「お父っつあんを助けに帰ってきてくれてたようなもんやろ、そんな話目のあたりにしとるんや、そんな映画みたら思い出して人前でワンワン泣いてしまう、俺はよお見やん」

親父の気持はよおわかる。

ジイさんの言わば命の恩人、しかし永遠に礼を言えない、そんな状況であんな映画見れやんわな…。

この歳になって初めて聞いた60年前の話。

今ワシが聞いても泣けてくる話。

この先「戦艦大和」に触れる度、思い出すやろな、親父と同じように…。

「おじさん」に合掌。

ありがとうございました。