ケーローの日

今の年寄りは若い。

ワシ思うに、戦前生まれと戦中戦後生まれでくっきり分かれる。

ちなみにオヤジは昭和10年、おかやんは16年生まれや。

おかげさまで、二人とも健在です。

それぞれの同級生を見とるとよぉわかる。

オヤジはまだ若いほうかな。

うちのばあちゃんネタは何度かココに書いているのでまた次の機会にして、戦中に病気で亡くなった(らしい)、会うたこと無いじいちゃんのコトを少し。

大正から昭和の初めにかけて、東京銀座の勤め人だったらしい。

ちょうどモボ・モガの時代か、うちの仏壇そばの写真はハイカラな帽子を被って斜に構えるかっこええ写真デスわ。

やはり都会で生活した人、長男の親父が国民学校(笑)にあがるとき、服や学用品など身の周りのモノは難波の高島屋で揃えたと聞いた。

当時の田舎町で、百貨店で取り揃えるなんて、チョー珍しかったんやろなぁ。

ちなみにワシの一年生の時は、地元、新町の商店街とジャスコ(笑)。

そうそう、三重はジャスコ発祥の地、M主党の、もう今となっては前代表Oさんは、ここの次男坊ですと。

さすが発祥の地、県内全市にジャスコはあります。

そういえば、昔ジャスコの前は「オカダヤ」やったなあ。

あ〜、また伏せ字が…(笑)。

地元に帰ってからも、町役場や漁協に勤めてたらしく、昔ワシが漁協にいた頃、うちのじいちゃんが毛筆で書いた「稟議書」を見せてもろたコトがある。

達筆のDNAは親父が受け継ぎました。

そんなじいちゃんも体は強い方ではなかったみたい。

戦争の最中、病気で若くして亡くなった。

写真でしか知らないじいちゃん、今のオヤジと似とるんかどうか…。