京都らしさ
陸前高田市の津波で生き残った松を使って、京都の大文字焼きを行う予定がボツになった。
「放射能汚染されてるのでは」「京都に撒き散らされイメージダウンするのでは」、なんて意見が多く寄せられ、保存会で調査し、危険なものは検出されなかったが、保存会全員の同意を得ることが出来なかったからと、コレを中止した。
現地では、被災した皆さんが、その薪に亡くなった方々へのそれぞれの思いを書き込み、京都へ送る準備が整っていたとか。
はいはい、京都の町はそんなものに汚されちゃ困るんやな、何も検出されてなくてもアカンのやな、自分たちの「歴史」「文化」以外のもの受け入れたないんやなとも思てしまう。
なんと京都らしい。
特別な場所やと思とるんやろな。
そんな懐の小さい閉鎖的な考えで、被災した皆さんの思いを反故にするんやな。
冷たいな。
って思たら、市役所には「ぜひ元の予定通りやってほしい」てな否定とは逆の意見も殺到しとるとか。
ちょっとホッとした。
ただ、行政は“保存会”に口出しできないそうな。
ワシが(個人的に)京都を好きになれん理由が、根拠がまた増えた。
京都に送ることが出来なくなったこの松、現地で「迎え火」として昨夜燃やされた。
あんな人らの町で燃やすより、よっぽど良かった、、、かもな。