帰省
先週の都大会に引き続き、また日曜日に早起きした。
橋本回りで新横浜から新幹線で帰る。
もう随分前、21世紀に入る前、婆ちゃんが逝った時のコト、帰省の度に思い出す。
その日も日曜日、朝の六時半頃電話をもらい、急ぎ支度した。
新横浜ではなく、その日は何故か東京から乗った。
東京までの過程は全く覚えてない。
ずっと婆ちゃんのコト考えてたに違いない。
次の電車の切符を買い、発車前のデッキから当時の上司に数日休みますと電話、そう、当時すでに携帯持ってましたわ。
名古屋までも何も覚えていない。
ちょうど家に昼頃到着やけど、たぶんメシ食えへんやろなと名古屋駅の乗り換えの時に弁当を購入。
日曜日午前の下り特急、混雑してたのか、通路側。
窓側には爺さんが弁当食べている。
食べ終わるタイミングが同じだったので、棄ててきましょうかと声をかけた。
これがきっかけで話が始まった。
郡山から来たこと、紀伊半島をグルリと回って大阪へ行くこと、など。
ワシは婆ちゃんのコトは話さず、適当にへんじをし、観光案内みたいなこともした。
おかげで二時間があっと言う間やった。
笑顔で別れたが、当然笑顔はここまで。
寂しく一人で婆ちゃんのコト考えて二時間過ごすことを考えていたので、爺さんとの会話は気を紛らすことができた。
いつもは駅まで迎えに来てくれるのは親だが、この日は下の妹夫婦。
覚悟はしてたが、ドキドキしながら家に入る。
二階の婆ちゃんの部屋に敷かれた布団、いつもとは違う方角に頭を向け、もう二度と動くことのない、話をすることのない婆ちゃんが横たわっていた。
いままで我慢していたが、食いしばれば食いしばるほど、ポタポタ…。
「婆ちゃん子やったもんなあ。よぉおぶってもろて散歩しとったもんなあ。初孫嬉しかったんやなあ」とおばちゃん。
トラウマでもPTSDでも無いが、帰省で新幹線使うと、こうやって鮮明に思い出す。
昨日、仏壇に供える土産も買うた。
「ちゃんとお供えしてからいただくんやで」、こう教えてくれたのも婆ちゃんでした。