乗物の写真

会社の帰り道、久しぶりに見たデコトラ

キラキラと派手な電飾!

何処ナンバーかは確認できず、チバラギ(死語ですな)かな(笑)。

昔、ブルートレインが流行ったころ、家のバカチョンのハーフのカメラで乗物の写真に凝ったことがある。

東京を夜遅くに出て、地元の駅に五時過ぎに着く寝台特急があった。

夏休み、その写真を撮るため朝早起きしてチャリで駅に向かい、入場券を買いホームへ。

赤いディーゼル機関車に引かれた濃紺の車体が入ってくる。

寝台特急紀伊」は、東京の風を運んでくるような気がしてた。

あるとき、ブルートレインから二人の女の子が降りてきた。

ワシと同い年くらい、五年か六年か。

大きめの帽子には花が付いて、花柄のワンピースを着た二人は、田舎モンから見るといかにも都会の子。

すると声をかけてきた。

「おはよう、新宮行きってこれ?」

同じホームの向かいに特急に続けて発車する鈍行がおる。

当時はホームに電光掲示板が無く、分からなかったらしい。

「うん、これやで」

「どうもありがとう、バイバイ」

おはようもありがとうも関西系の発音ではない。

あ〜東京の子ぉかなぁ、ポーッとしてしもた。

その日からしばらく、その子のこと考えてた(笑)。

その頃前後してかな、「スーパーカー」や菅原文太の「トラック野郎」が流行ったのは。

うちの裏が魚市場やったんで、トラックは結構写真に撮ったし、国道も紀伊半島を一周する一応幹線国道、何回もチャリで役場横の体育館のバス停のトコでトラックを狙った。

そこは国鉄も平行して走っており、ボンネット型の特急「くろしお」を撮ったりもした。

でも当時は国鉄より近鉄の二階建てビスタカーの方が好きやったなぁ。

そや、少林寺の夏合宿で青梅鉄道公園に行ったとき、ビスタカー(さっきのは二世、これは三世ですが)の模型があったのには、懐かしく、青梅で近鉄電車を見るとは、ちと感動した。

チャリで行ける距離や無かったし、近鉄沿線まで。

休みの日、車で買物に出かけた時、駅で降ろしてもらい家族が買物済むまで電車の写真を撮ったりした。

そうそう、三重の人は、

汽車=国鉄
電車=近鉄

と使い分けます。

今でも、JRになっても電化しても「汽車」。

「名古屋まで汽車で行くんか、電車か」みたいに。

昔の中学生も結構忙しく、その趣味から離れた。

色々と乗物の写真を撮ったけど、さすがに田舎の国道ではフェラーリは見たことなかったなぁ(笑)。