ジャッジ
あまり討論番組は好きではない。
自分の意見・主張だけでは物足りず、相手の「否定」をするヤツが多いし、揚げ足取りになって討論にならなくなったりすることが多々あるから。
ワシは自分の意見は言うときゃ言うけど、他人の意見を否定することはしないようにしてます。
自分の話を聞いてほしいから、相手の話を聞くようにしてます。
そうしているつもりです。
AMラジオでも毎晩10時から時事問題について「Yes」か「No」か意見する番組があるし、NHKでも若者がやってたりするけど、積極的に見聞きすることはない。
昨日も4チャンで、タレント、素人を交えカンカンガクガクやっていた。
その中の一人に腹を立てながらも、つい見入ってしまった。
途中から見たのですが、学歴、金、いじめ等をテーマにやってました。
最後のいじめの所の終わりで、タレントの宇梶剛士さんがこんなことを言うてました。
「「自由」と「勝手」を混同してしまっている」。
なるほど。
自分なりの解釈ですが、自分と周りの者すべてが思うように出来る状態が「自由」、反対に周りはどうでもよくて自分だけ思うようにするのが「勝手」、そういうふうに考えます。
少林寺拳法の開祖は、次のような有名な言葉を残しています。
「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」
自分の幸せは半分でいいから、残りの半分を他人(ひと)に分けてあげて、一緒に幸せになりましょや、てな意味ですな。
先の「勝手」ではなく「自由」の方ですわ。
「だったら、自分を犠牲にしても他人に施したらいいじゃないか」との意見もありそうですが、自分が健康で幸せな状態でなければ、他人に愛を施すことが出来るわけがないですよね、そういう意味をも持っているのだそうです。
心も体も健康に、です。
自分も含めてと反省しますが、今の人間、いや世の中に足りないのは、この「思いやり」の心かもしれませんね。
自分のことだけではなく、あなたのことも思いやる心の余裕が欠けているのかもしれません。
朝からラッシュの電車に揺られ、時間に追われて会議や打ち合わせ、昼休みもパソコンに向かい…みたいなことになってますよね、みんな。
人をかき分けて、コセコセ、ギクシャク、あかんあかん。
まだまだ人間が出来てないので、心に余裕を持つなんてどないしたらええか分からんし、難しいと思ってしまいますが、なんとかしたいものです。
いま、書いててふと思いましたが「人間ができる」って、年取って寿命を全うしたとき、つまり死ぬとき、ようやく「人間ができる」んやないかって。
だから、人間死ぬまで勉強、死ぬまで修行なんですね。
あれ、いつもと書くことの毛色が違うなあ、どないしたんやろ、ワシ(笑)。